近所の邸宅が取り壊される日が近づいてきた。
朝、立ち寄ったらまたいろんな物をもらってしまった。
家主のTさんはすっかり私が「なんでも欲しがる奴」ということを心得ているようで
庭を歩いていて「あ、タケノコが出てる・・・・」と呟くと
「掘ります?」と尋ねて、その答えも聞かないままにスコップを持ってきてくれた。
土を掘り起こすなんて久しぶりで熱中していたら、その様子が「死体を山中に埋めている人みたい」だと言われた。
掘ったタケノコを少しだけ軒先に置いておいていたらすぐ虫がたかってきた。
みんな新鮮なタケノコ食べたいのね。
でも私が食べる。私が掘ったから。
その後は、最初の家主の三男が買ったらしき滋賀の仏像の豪華な美術本を貰った。
滋賀の仏に詳しくないけど、本を開くとそのお顔に一気に見入られる。
前から模写の為に仏像の美術本が欲しかったんだけど、古本でも中々安いのが手に入らなくて二の足を踏んでいた所だった。
ここでその一冊目を頂けるのも何かのご縁なんだろう。
さらに、玄関に貼ってあったブリキ製のNHK放送受信章を剥がして貰った。
いつ頃のものだろう?
検索したら、NHK放送受信章の変遷を調べたサイトがあった。
http://www.ne.jp/asahi/radiomuseum/japan/jyusinsho.html
こちらによると私の手に入れた受信章は1953~62年のテレビ放送が開始された時代に配布されたラジオ専用の受信章のよう。
この広い家にかつてラジオが流れていたという証なので、大事にとっておくことにする。
その後古道具屋さんが来て、売り手のついた建具を外されていった。
玄関戸からはじまり、各部屋のドア、ガラス窓、スイッチカバー・・・・
みるみる内に解体されていく。
在るべきところに窓が無い部屋というのは実に不思議。
枠の中にポッカリ・スコンと外の景色が現れて
爽快だけど、体の中の何か大切なものを抜かれてしまったような、
足元がおぼつかない心もちになる。
むかし友人が
「人はツルッパゲにするとそれまで髪の毛で遮られていた情報が直接頭に振りかかってくるから大抵人間が壊れる。ハゲは危険だ」
と妙に力説していたことを何故か思い出した。
そこにはガラスも、キャンバスに描かれた絵も無い。
外界と境界を分かつ物質を四方に張り巡らせてはじめてそこは部屋になり、家になる。
子供の頃いとこのお兄ちゃんがガラス戸に気づかないで突進してマンガみたいなタンコブを作ってたことがあったけど
子供にガラスを不可視化させる能力があるとするなら、大人にあるのはそこに何も無いと分かっていながらなお手を伸ばしてしまう能力だ。
窓の無いここはもう家ではなくなっていることを、伸ばした腕に当たる初夏の風が教えてきた。