池袋リブロが今年の夏頃に閉店するそうです。
池袋リブロの思い出
私は西武池袋線沿いに住む練馬区民だったので、池袋という地は最大のハレの場でした。
よそいきの服を買う時は西武百貨店。
映画はサンシャイン60通りに乱立する映画館の中のどれか。
(どうでもいいけどずっとシネマ・サンシャインの事を島根サンシャインだと思っていた。ゲームセンターの入口に置かれていた競走馬の原寸大模型も今は無くなって寂しいです)
家電は当然ビックカメラ。
甘いのを食べたくなったら母にねだってミルキーウェイへ。
そして、地元の書店に置いてないような本は全てリブロ池袋へ。
これが定番でした。
やがて小学校高学年になって、中学受験の為に四谷大塚の池袋校へ一人で通うようになると、
テストの帰りにぶらーっとリブロへ寄るのが定番でした。
そこで初めて「文化的な大人の空気」に触れた気がします。
西武線池袋駅の地下改札から西武食品街を入ると、リブロへの直通通路があります。
天井が狭い50m位の通路ですが、私はその道が大好きでした。
食品街で売られている点心の匂いが通路には漂っていて、でもそれをリブロの方へ進むとやがて食品街の喧騒と匂いが消えて、コポ、コポコポ・・・・という音が微かに聴こえ始めます。
薄暗くて天井の低い通路は壁がうねっていて、青いライトがぼんやり灯っていました。
それはまるで、市井の空間から思想の空間へ潜る儀式のように、当時の私には感じられたのです。
「くうねるあそぶ」という呪文のような言葉。
詩の書籍が黒い箱に詰められたような「ぽえむ・ぱろうる」。
今にして思えば、私はどっぷりセゾン文化に浸かって育った子供なのでした。
国立と池袋と大泉学園を繋ぐもの
セゾン文化に染められていた幼い頃、私は練馬区の大泉学園に住んでいました。
そして今は国立にどっぷり浸かっています。
国立と池袋と大泉学園。
この3つの土地に共通するキーワードは「堤一族」です。
西武グループの前身である箱根土地株式会社の堤康次郎は東京商科大学(現在の一橋大学)を中心に据えた「大学町」を作ろうとして、まず大泉に狙いを定めます。
ところが誘致計画は失敗。商科大が移転するはずだった名残を「大泉“学園”」という地名に残して、最終的に堤康次郎は国立の土地に「大学町」を実現させました。
その康次郎の息子が堤清二。又の名を詩人・辻井喬。
西武グループの元代表で、池袋リブロをはじめとするセゾン文化を作った実業家です。
特に何も考えず大泉学園から国立に移った自分ですが、
歴史を調べていくと面白い繋がりが分かるもんだなあ、と思いました。