多和田葉子さん講演会。国立と団地、町という生命体。


先日は富士見台団地50周年記念に、多和田葉子さんの特別講演会がありました。
多和田さんは現在はドイツにお住まいですが、元々は富士見台団地で育った方です。
これまで数えきれない程の講演をこなしている多和田さんも団地の会議室を使っての講演は初めてとのことでした。

講演テーマは「くにたちからベルリンへ 住まいについて思うこと」。
その中で印象的だった部分をいくつか取り上げたいと思います。

 団地の特異性と国立の特異性

講演を聴きに来ているお客さんはほとんどが団地にお住まいの方々だったこともあり、多和田さんは「団地」についての雑感を多く語っていらっしゃいました。

中野のアパートから、当時出来たばかりの富士見台団地へ越してきた多和田一家。
少女だった多和田さんにとってそこは「自分の世界を初めて形づくった場所」だったそうです。

均質に並び、番号を付けられた棟々。
幼少から感受性の豊かな多和田さんは、団地に“色”が見えたそうです。
たとえば第一団地は明るいオレンジ色、第三団地は少し危険な紫色、という風に。
ガワの見た目も中の間取りもほとんど変わらない無個性の団地ですが、そこに人が住むことで場に個性が生まれ、物語が生まれ、生活に色がついてくる。その有機的なうごめきを多和田さんは色彩的に感受していたようです。

話は全然違いますが、この講演の三日前くらいにNHKでブラジル移民移民のドキュメンタリーが放送されていました。
日系移民でありながらブラジル文化人最高の勲章を受けた芸術家・大竹富江さんは、移民船で初めてブラジルの地に降り立った際
「日本の薄暗い灰色とは違うアマレイロ(黄色)の空気が体の中に入ってきたの」
と表現していました。
新天地へ移り住むことで見えない空気に“色”を感じるところは、多和田さんの発言と重なるところがありますね。

さて、「団地」という集合住宅の特異性もさることながら、「国立」という町の特異性も多和田さんの人格形成に影響を与えたそうです。

近代的なまちづくりを推進する「国立」と、昔ながらの家と自然の残る「谷保」が隣り合わせて、新と旧がひしめきあう立地。
国立における住民の独特な自治意識は、立川高校に入り初めての“越境体験”をしてからより鮮明になったそうです。
国立から一歩離れて立川に入るとそこはエキゾチックな空間。パチンコ屋や風俗店がひしめきあっています。
国立は言わずと知れた文教地区です。
パチンコ屋が建つのが嫌だから建てさせない。歩道橋は協議の上で建てる。
そんな大人たちのはたらきかけを見て育ったため、「町の出来合いは個人の意思とはまったく関係ない所で成立している」という日本人の一般的な感覚を持たないのが国立っ子の特徴ではないか、というのが多和田さんの持論でした。

実際に国立で育った文学者の多和田さんがこのような所感を持っているというのは、この地に関わってまだ数年しか経っていない自分にとってはかなり重要な証言に感じました。

 

国立とハンドボール

またもや話は脱線しますが、以前、国立の喫茶店のママさんに「国立市はやけにハンドボールが盛ん」という話を聞いたことがあります。

そういえば、私も6年間ハンドボールをやっていたのですが、初めて国立駅に降りたのは中学のハンドの練習試合の時だったし、「ハンドボール7」という数少ないハンドボール用品専門店は当時、都内に新宿と国立の二つしかありませんでした。
ハンドボールという競技は、“力任せ力”が重要なスポーツです。
オフェンスの際、ディフェンスのスキを突く策はいちおう講じるのですが、まずフリーでシュートを打てるという場面はほぼありません。敵の守備にスソをつかまれたち突き飛ばされたりしながら無理くり球をゴールへ放つ力が必要不可欠です。
これは逆を言えば、敵の強い当たりをものともしないシュート力さえあれば、わざわざ作戦を立てる必要がないともいえます。
(あくまで個人的なハンドへの印象なので、違うという人がいたらごめんなさい)

ハンドボールというゲームの「結局は力任せ」、そして「結構乱暴なルール設定」という性格は、「国立」という町の性格ととても相性が好い気がしている、というのが私の実感です。
歩道橋ひとつ、パチンコ店ひとつとっても「自分たちが選び取ることによって町が形成されている」という、日本ではやや珍しい国立の市民感覚と、やや強引なきらいはあるものの力任せで打たないと何も始まらないというハンドの競技精神は似通っている。だからハンドボールが国立市でさかんになるし、自分もこの町にいて居心地が好いのかな?そんなことを思いました。
国立市はほんとにハンドボールがさかんなのか問題は今後じっくり調査したいと思います。

団地という生命体

1時間たっぷり団地と国立とドイツについて語っていただいた後は質問コーナーに入りました。
団地建て替えの不安を語る方から、「団地の句会に応募したけど落選した」という自分の話を始める方まで、さすが50年の厚みをもつ富士見台団地。普通の講演会では出ないような質問が色々と出て、どこかフリーダムな空間でした。

そういえば多和田さんのお話しの中で、自分が移り住んだ頃の団地のことを
「夢のようなプロジェクト感と、平等を重んじるユートピア感があった」
と述べられていました。
質疑応答の最後の方では、「50年後の富士見台団地は移民が3分の1、一橋生が3分の1、残りが昔から住んでる人くらいになっていれば楽しい」という多和田さん独特の発言が飛び出したりしてました。現在の住民の方々はこの発言をどのように捉えられていたかが、気になるところです。

講演会終了後はサイン会。
私もサインを頂きました。中には全冊購入される方も。
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多和田葉子さんという偉大な文人の精神と感受性が、国立という町でどのように育まれたのか。その空気を肌で感じられる、とてもいい講演会でした。
最後に、講演の中で出てきた作品を簡単に紹介して終わります。

 

犬婿入り (講談社文庫)

犬婿入り (講談社文庫)

 

 「犬婿入り」。芥川賞受賞作品。多和田さんがハンブルクに越してから思った国立像が描かれています。
また同時収録の「ペルソナ」には谷保天満宮が出てきます。

 

尼僧とキューピッドの弓 (講談社文庫)

尼僧とキューピッドの弓 (講談社文庫)

 

 「尼僧とキューピッドの弓」。多和田さん曰く「住まいの理想についての話」、だそうです。

雪の練習生

雪の練習生

 

 「雪の練習生」。人間の言葉を話すシロクマたちの話。団地では動物が飼えなかったため、動物好きの多和田さんは愛がつのり、のちに「犬婿語り」「雪の練習生」と犬からクマまで小説を書く契機になったそうです。

 

雲をつかむ話

雲をつかむ話

 

 「雲をつかむ話」。日本では日常生活であまり出会うことのない犯罪者ですが、ドイツにおける犯罪者は一般人の延長線上に存在するそうで、よく遭遇するそうです。そんな日常の中に混じり込む犯罪者を多和田さんの視点で描いた作品。

 

献灯使

献灯使

 

 最新作「献灯使」。東日本大震災による原発の影響で生家を喪った福島の人々と実際に触れ合う中で描いた、住まうこととは何かを問う近未来ファンタジー。

 

 

多和田さんの本はどれも「越境」のイメージが盛り込まれています。
日本とドイツの地理的越境や、言語的越境、人間と動物の越境、日常生活と犯罪の越境。
越境という感覚があるから、定住=住まうという感覚に色濃い意味が出てくる。

多和田さんの描く果てしない世界観が、国立や立川といった身近な土地から生まれたと思って手に取ると、また一段とおもしろい読書体験になりそうです。

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