「少年の名はジルベール」に描かれた、「大泉サロン」という名の枠物語。


(ネタバレを多く含んでいます)

(2021.4月追記。萩尾望都先生の上梓した自伝を読みました。24年組のみならず大泉サロンという名前も望む呼称ではないこと、萩尾先生は自身の作品を少年愛と解釈していないことなどが判明しましたが、あくまで2016年当時に「少年の名はジルベール」のみを読んで知り得た範囲の中での感想として直さずそのままにしています。)

 

少女マンガ界には「花の24年組」と呼ばれている作家群がいます。
と、マンガに多少詳しい人であればよく知られているこの名称をなぜあえて遠巻きに書き始めるか、その理由は後述しますが、その話はさておいて、先月その「24年組」のメンバーとして必ずと言っていいほど名前を挙げられる竹宮惠子先生が、自伝を上梓されました。
その名も「少年の名はジルベール」。

少年の名はジルベール

少年の名はジルベール

 

 この自伝に書かれているのは竹宮さんがデビューしてから、彼女の代表作となる「風と木の詩」を連載開始するまでの約10年間についてです。
竹宮さんの長いキャリアからすると10年は短い期間の話のように思えますが、内容は非常に濃密で、メモしておきたくなるような言葉がたくさん散りばめられています。

この本にはマンガ好きたちが今まで知っているようで知らなかったことがいろいろと、実に明快に書かれています。
たとえば本のタイトルになっている「ジルベール」は「風と木の詩」の主人公の名前ですが、「風と木の詩」は竹宮さんがデビュー当時からずっとあたためていた構想だったこと。
いちばん最初は
「主人公の少年の名は・・・・そう、ジルベール!」
という若く瑞々しい想像から始まるのですが、そこから竹宮さんはマンガ家として研鑽を積み、数々の友人や編集者とのふれあいの中でぼんやりとしていた「風と木の詩」の構想をだんだんと詳細にしていき、編集との交渉を重ねて、とうとう本のラストで念願の連載を勝ち取るのです。
そこに至るまでの紆余曲折がこの本の見どころの一つとなっています。

「大泉サロン」と「24年組」

この本に書かれている「マンガ好きたちが今まで知っているようで知らなかったこと」の最たるものは「大泉サロン」の実態です。

「大泉サロン」とは、竹宮さんと萩尾望都さんがかつて同居していた大泉学園の古アパートの別名です。そのアパートは言ってみれば女性版トキワ荘。いろんな少女マンガ家たちや編集者などが入れかわり立ちかわり訪れたことから「サロン」と呼ばれるに至ったそうです。

しかし竹宮惠子・萩尾望都お二方の名前が出ると、「大泉サロン」よりも先に連想される言葉があります。それが「花の24年組」というグループ名。

Wikipediaの「24年組」の項には

昭和24年(1949年)頃の生まれで、1970年代に少女漫画の革新を担った日本の女性漫画家の一群を指す

 とあり、さらに

24年組が誕生するきっかけとなった場所が大泉サロンである。

と書かれているのですが、この説明には語弊があります。
確かに大泉サロンには後に「24年組」とされる少女マンガ家たちが集まり交流をしていましたが、全く大泉サロンに関わっていない「24年組」もいます。
そもそも、当の彼女たち自身が「24年組」という言葉を生んだわけではなく、むしろその呼ばれ方をあまり認めていない向きがあるのです。

 

この点において一番解説が詳しいのは「COMIC BOX」1998年8月号(ふゅーじょんぷろだくと刊)におけるヤマダトモコさんの「まんが用語〈24年組〉は誰を指すのか?」という記事です。
以下に一部を引用します。

いわゆる<24年組>に含まれるまんが家本人に直接取材した記事では、この言葉は使われないのが一般的である。人を評価するとき、その生年で一括してしまうのは失礼なことで、彼女たちは不快に思っていたのではないだろうか。

 ヤマダさんは多くの文献にあたった上で、「24年組」という言葉を当の本人たちが使っていないということを指摘します。
彼女が「<24年組>という言葉について、それに含まれるまんが家が直接コメントしている唯一のもの」として紹介するのは木原敏江さんの全集に所収されている本人談。

「でね、ファンレターにまじって、きたのよ、いろいろと。(略)-あんたが24年組だなんて認めない。ハギオさんとつきあうのやめたら?-とかね。スゴイでしょー(略)友人選ぶのはあんたじゃないわい。」「ところで、いつ誰が言いだしたのか『24年組』。それまでの少女まんがの歴史をかえた、S23,24,25年生まれの女性作家達を総括して、『24年組』と言うそうです。で、私も、どうやらそのしっぽに入ってるらしいんですが、でも私は『24年組』じゃないもんね。断固。たしかに生まれは同じ頃ですが、めざしてる方向も舞台も資質も違うもの。それを同じ土台にのっけて、一方をほめたたえ評価する時のたたき台にするなんてフェアじゃないと思ったし。」

(木原敏江全集6「花草紙」(角川書店)1990年刊より)

このように木原敏江さんは「24年組」という言葉と、その言葉に振り回される状況に明らかな嫌悪感を示しています。

これらの例を挙げながらヤマダトモコさんは、「24年組」という言葉のせいで「24年組のマンガ家」と「24年組じゃない(にしたくない)マンガ家」という図式が出来てしまい、本人たちはその望まずして与えられた境遇を疎んじていたのではないか、という考察をしています。

結局「24年組」という言葉の出所は未だはっきりしないのですが、この言葉が本人たちを無視しながらファンと評論家たちの間でひとり歩きし、今に至る現状は知っておいてもいいように思いました。
現に、「少年の名はジルベール」においても「24年組」という言葉は1回も出てこないことからも、推して知るべし、なのでしょう。

よって以後、竹宮・萩尾両名とその周辺を語る際に「24年組」という呼称は控え、「大泉サロン(を取り巻く人々)」という言い方にさせて頂きます。

 

トリックスターとしての増山法恵

だいぶ話が逸れてしまったので「少年の名はジルベール」に話を戻します。
本書の中には週刊少女コミック編集者のYさんをはじめ、濃いキャラクターがたくさん出てくるのですが、
中でも出色なのが大泉サロンの立役者、増山法恵女史。

これまで私の中では「増山法恵=24年組の一人。でもマンガ家ではない人」くらいの認識しかありませんでしたが、印象が変わりました。
この本からわかる増山さん像をざっくりまとめます。

  • 純粋なマンガファン。萩尾さんにファンレターを送り交流したところから始まり、竹宮さんとも仲良しになる。
  • 萩尾・竹宮の二人に「実家の近所のアパートが空いたから上京して二人で住みなさい(そして私もそこに入りびたる)と提案。これが後の大泉サロンに。
  • 元々ピアニスト志望のため、音楽・舞台・芸術の知識が豊富で、大泉サロンの面々やとりわけ竹宮さんに文化的知識を与える役割となる。
  • 歯に衣着せない性分。知り合いのマンガ家に対してもつまらない作品には容赦無い言葉を浴びせる。(それだけマンガを愛している)
  • 大泉サロン解散後は竹宮さんのブレーン的役割をこなし、「変奏曲」などの原作も手がけるようになる。

まず上の2つからしてすごい。
ファンの交流から始まって作家と仲良くなり、上京させて自分の近所に住まわせるとか、時代のおおらかさを差し引いても普通なら考えられません。非常にエネルギッシュです。

理知的な竹宮さんと物静かな萩尾さん。
この2人の天才作家の間で、無邪気に場を引っかきまわす“何者でもない(からこそ自由な)”増山さんというトリックスターがいたからこそ「大泉サロン」という梁山泊が成立したのかもしれません。

とにかく納得のいかない作品や格式の低いと思われる作品を竹宮さんが描くとケチョンケチョンに批判する増山さんですが、
竹宮さんがあることをキッカケに「自分の言いたいことを描くのではなく、戦略的に売れる作品を描こう」と決意して増山さんにアドバイスを求めると、あれほど「読者に媚びを売る作品は嫌い」と反対していた増山さんが食卓でしぶしぶ「……貴種流離譚が、いいよ」と、ぼそっと教えてあげるのです。キ、キシュリューリタンとは。
ご飯を食べながらちょっと気まずい女友達にぼそっとつぶやくのが「さっきはごめんね」でも「おわびにケーキ買うね」でもなく「貴種流離譚にしなよ」というのが最高にクールです。

増山さんから見た「大泉サロン」というのも知りたいと思いました。

 

萩尾望都と竹宮惠子の関係性の機微

そしてこの本で何よりファンが印象に残ったのは、萩尾望都さんに関する記述ではないでしょうか。

竹宮さんと萩尾さんは同学年で、大泉サロンの中心人物として現在に至るまで大活躍をされているマンガ家同士です。
かつて同居や45日間にわたるヨーロッパ旅行をした仲にも関わらず、現在2人の表立った交流はあまり見られません。

大人の問題なので、現在のお2人の関係性についてわざわざ勘ぐる必要など全くないのですが、それでもほんのり気になってしまうのはファンの悲しい性。
「少年の名はジルベール」では、そんなファン心理に応じるかのように、ひとつの答え、のようなものを竹宮さんが示してくれています。

2人の間に何があったのか。
簡単にまとめようかと思い1回書いたのですが、「簡単に」書く自分を非常におこがましく感じたので消してしまいました。詳しくは本を読んで下さい。竹宮さんの萩尾さんに対する繊細な心理の移ろいが本には書かれています。

2人のやりとりに関する描写を読んでいるうちに、私は不思議な錯覚をおぼえました。
もしかして、「風と木の詩」や「トーマの心臓」に代表される少年愛ものは、竹宮さんと萩尾さんが主人公の「大泉サロン」という大きな物語における劇中劇だったのかもしれない、という錯覚です。

あくまで錯覚です。誤解のないように書きますが、「少年の名はジルベール」の中には、竹宮さんと萩尾さんにおける恋愛感情のようなものは欠片も書かれていません。
しかし、大泉サロン勢の作品たちにかつて胸をときめかせた読者たちは
二人の関係性に、単純なライバルを超えた何かを妄想させられずにはいられないと思うのです。だって、大泉サロンが解消となった際に交わされた会話が

「スープの冷めない距離でやっていこう」

なのですから。

そして、そんな読者の妄想をかきたてるような描写を竹宮さんほどの作家が無自覚で書いているとはとても思えません。
火のない所に煙を立たせるBL文化が浸透した日本のマンガ界において、
いまや若きマンガ家たちの教育者(京都精華大学学長)にまでなった竹宮惠子がそこに気付いていないはずがありません。
読者たちの心の揺らぎを竹宮さんは計算に入れて、あえて萩尾さんと自分の関係性について初めてメスを入れたのではないでしょうか。

そこまで妄想して、私は竹宮惠子先生と共犯関係になった気分になりました。

竹宮惠子の確信犯的記述と共犯関係になった気持ちになる。それが「少年の名はジルベール」の読み方だと受け取りました。

 

そして、増山さんもそうなのですが、ここまでくると萩尾さん視点の「大泉サロン物語」も読んでみたいです。とりわけ、萩尾さんが作品に少年愛をとりいれるに至ったくだりをもっと知りたいです。

 

と、「少年の名はジルベール」を読んで興奮した勢いでブログを書きましたが、あまり少女マンガの歴史に興味がない人でもとても楽しく、かついろんな読み方のできる本です。

マンガ指南書として。仕事術や取引先との交渉術を学ぶ教材として。

はたまた、娘(竹宮・萩尾)と父(編集Yさん)をめぐる葛藤の物語としても読めるし、ヲタ魂の解読書として読んでもいいかもしれません。読む人の境遇ごとに共感できる部分がちりばめられているように思います。

 

今年始まって間もないですが、2016年のベストワンになりました。


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