辰巳ヨシヒロ追悼にかえて(2)多摩に劇画版「トキワ荘」があった!


辰巳ヨシヒロ氏の逝去にちなみもう一つ、劇画に関するあまり世に知られていない話題を書きたいと思います。

 
このブログでは国立をはじめとした多摩情報も載せているのですが
辰巳ヨシヒロ氏やさいとうたかを氏といった劇画家たちと多摩には、実は深いつながりがあるのです。
 

 

その内容は前回のブログでも紹介した「劇画漂流」の下巻にも詳細が描かれていますが、
劇画漂流 下巻

劇画漂流 下巻

 

 

劇画工房のメンバーであった松本正彦氏の自伝的マンガ「劇画バカたち!」も併せて読むとより面白いです。
どちらかというと「劇画バカたち!」の方がくだけた内容で、当時の熱狂が分かりやすいと思います。
(特にさいとうたかを氏のワイルドなキャラクターはユーモアたっぷりです)

劇画バカたち!!

劇画バカたち!!

 

 

多摩のトキワ荘、「国分寺劇画村」

「才能ある若きマンガ家たちが一つ屋根の下で青春を送ったアパート」
というと
東京は椎名町にある「トキワ荘」があまりにも有名ですが、
トキワ荘と同じくらいマンガ史的に重要な地が東京の西側、多摩にありました。
それが通称「国分寺劇画村」です。

大阪で生まれた劇画工房は
すったもんだを起こしながらも、東京進出を果たします。
その際に劇画短編集を出す出版社は劇画工房の中心メンバーであった辰巳ヨシヒロ・松本正彦・さいとうたかをの3人を同じアパートの一室に住み込ませて囲い込むことにしました。
これが「国分寺劇画村」の発祥です。

もちろん血気盛んな若者たちが狭いアパートに詰め込まされても上手く行く訳がなく、
3人は理由を付けては遊びまくるのですが
(ここらへんのいい加減さがトキワ荘には無い泥臭い魅力です)

やがて国分寺周辺には他の劇画工房の面々や関西で活躍していた貸本作家が上京してきて次々と住み始めます。
そして劇画を描きながら、映画を観たり酒を飲んだり喫茶店のウエイトレスを口説いたりと青春時代を送っていました。

ちなみに、若き劇画家たちが集っていた喫茶店はいくつもあったのですが
今でも一つだけ営業を続けている喫茶店があります。
国分寺駅近くの「でんえん」というお店です。
とても雰囲気の好いジャズ喫茶で、珈琲を雪平鍋で淹れてくれる女性は当時の国分寺劇画村のことを覚えていらっしゃいます。
「でんえん」は言ってみれば、トキワ荘におけるラーメン屋「松葉」のような存在とも言えますね。

他にも昔の貸本マンガを漁ると描写の中に当時の国分寺劇画村の様子がよく描かれています。
そこからは国分寺がとても魅力的な町だったことがうかがわれます。

私の夢は、この「国分寺劇画村」を
「東のトキワ荘、西の劇画村」と言われるくらいに
世間に周知して貰うことです。
(正確にはもう一つ、トキワ荘と劇画村の真ん中に少女マンガ家の梁山泊「大泉サロン」があったので、ここもあわせて”現代マンガ発祥の地”の三本柱にしたいです)

残念ながら劇画村の中心的存在である辰巳ヨシヒロ先生はお亡くなりになってしまいましたが
まだまだ劇画家と彼らを取り巻いた人々、
そして劇画村の名残は多摩にたくさん残っています。
日本の誇るべき文化、マンガの歴史の息吹を
多摩に訪れた人々が感じられるようなまちづくりがいつか出来たらいいなあと
壮大な夢をみています。

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